昨日、毎年恒例のホリスティック医学協会のシンポジウムに参加しました。
今年のテーマは「魂の医療〜いのちの本質 時代が魂を語り始めた」です。
「魂」「霊性」
生と死、病気と健康について考えるとき、避けては通れない概念であると私も考えています。
色々と見聞きする中でも、今もなお「そういう世界がある」という確信はずっと抱き続けているかもしません。
幼い頃に救急車沙汰になったとき、肉体の自分を肉体ではない自分が見ているという私の記憶があるからかもしれません。
また肉親の死についてもそういうものを感じるのも、私のなかの真実の一つです。
けれども、言葉では表現しきれなかったり、浅はかな言葉によって曲解されることを恐れ発言をあきらめる自分もいたりします。
そんなものについて、「魂の医療」と題して現役で医療にたずさわっておられる医師や研究者の方々が一体どのように語られるのか、今回のシンポジウムはそんな意味でも楽しみでした。
日本のホリスティック医療の第一人者でいらっしゃる帯津良一氏をはじめ、5人の医師や研究者の方々の講演を聴きました。
一番印象的だったのは帯津先生のお話。
・生命の躍動のままに生き、歓喜に包まれること
・自分の力で、自己を創造すること
・心のトキメキが自己治癒力を高める
・最高の状態で死んで、来世へ備える
帯津先生は82歳で現役の医師とのこと。
死に直面する患者さんに寄り添うためには、自分も死に近いことろに立つこと。
そのためにどうするかというと、
今日が最後だと思って毎日生きる
のだそうです。
たとえば一日の仕事がすべて終わってからの晩酌が何よりの楽しみで、最後の晩餐のようにして美味しいお酒とおつまみをいただくそうなのです。
心のトキメキについて他にも色々とお話くださいましたが、本当にカッコイイ、粋な生き方だと感じました。
他のスピーカーの方々も本当に素晴らしいお話ばかりで、時に涙が出てしまうほど。
東洋の哲学の根底に流れている、全ての存在のつながりについても確かめることができました。
肉体は無くなっても魂は成長し続ける。
そんな考え方、視点を持つと、死生観の転換が起こります。
死をお別れだとするならば、それはもちろん悲しいです。
でも、死は終わりや悲しみそのものではないのです。
そして自分の本質に生きること。
それに近づけば近づくほど、自我が消えていく。
没我の状態になれる。
あるとき息子と魂についての話題になったとき、こう伝えました。
誰にでも必ず死がやってくる。
けれども、からだは無くなっても魂は生き続ける。
だから安心だよ、と。
彼はなぜだか妙に納得していました。
死を恐れず、愛に生きること。
それが伝わったらいいと思います。
まずは母親である私がそういう生き方をすることですね。
でも頑なに良きお手本になろうとせず、穏やかに、緩やかに。
私が死ぬときは、「ありがとう」「また会おうね」と家族や仲間から祝福されたい。
そのためにも、この生命(いのち)を燃やしたい。
そう思う帰り道でした。