「Heal Thyself / 汝自身を癒せ」エドワード・バッチ #07 毎日を喜びで満たす

欠点とは、魂の命ずることに調和せず、ユニティ(万物の全体性)に背くようなことである。欠点をなくしていくには、それと反対の美徳を育てることである。

そのためには、静かな熟考と内省をして、自分自身を平和な状態に置くこと。良心と直感を通じて語りかけてくる魂の望みに合わせるのだ。ハートの中に、人々に奉仕し自分の魂の命令に従って働きたいという熱い願いを持ち続けなければならない。

欠点は、悪いものを抑えつけるようなものではない。欠点をなくそうとすると欠点の力はより強くなる。そうではなく、美徳を着実に養うこと。例えば自分に残酷さがあるのならば、仲間に対する思いやりの気持ちを持つことである。

身体的に現れる病気の性質は、その根本原因である心の不調和を特定する際に役立つ。そして病気を克服するために、自分の人生を生きる意欲を持つ。この世界を旅する冒険の中に真の喜びを見出すのだ。

唯物主義の最大の悲劇は、内的な真の幸福感を失わせたことである。退屈さはより大きな刺激を次々と求め続け、自分の欲のために魂を悪魔に売ったようになってしまう。人生に対する真の熱意と喜びが私たちから離れ去ってしまう。

退屈さは多くの病気を招く。 退屈を解決するには、周囲のあらゆるものに生き生きとした興味を持つことである。一日全体を通して人生を学ぶこと。仲間、生活上の出来事、全ての背後にある真理を学び続けること。どうすれば知識と経験を得られるかと考え、我を忘れること。その知識と経験を仲間のために役立てられる機会を逃さないこと。そうすれば単調で退屈だった出来事が冒険と探求の機会となる。こうして見出される本当の喜びとは、日常の単純な出来事の中にある。単純なことこそ、大いなる真理に近い。

日常生活を、宇宙の偉大な根本原理と人々への慈愛の精神を情熱的に学ぶことへ転換するように努めるのだ。毎日の生活を興味の尽きない冒険へと変えよう。 生きる意欲を持つためには、あらゆる恐れを捨てること。内なる神性は不屈で永遠の存在である。恐れは唯物主義の時代においてこの世の所有物を重視するほど大きくなる。 現代では病気に対する恐怖心が大きくなっている。

他者の幸福に夢中になって没頭している時には、個人的な病を心配する暇はない。 科学が物理的な根拠に基づいて説明できない要素が存在する。それが同じ感染の可能性を持ちながら病に冒される人と冒されない人がいる理由である。

唯物主義は、病の要因が物理的な次元を超えたところにあるのを見落としている。どんな病であろうと、その要因こそが、日常の暮らしの中で人を病から守ったりかかりやすくしたりしている。 病の本当の原因は人格にあり、自分で統御できるものである。それを理解するならば、自分自身の中に病を治す手立てがあることを悟り、勇敢に行動できる。

隕石のかけらに当たることに恐れる以上に病気を恐れることはない。 肉体は魂の地上の住処に過ぎない。身体と私たち自身をあまり強く同一視せず、健やかに自らの力を果たすために敬意を持って身体を扱い手入れしなければならない。身体に心を奪われ、度を越して心配しすぎることのないように、身体を魂と心の乗り物として使うべきである。

食事によって体内の正常さは保たれる。自然の果物、野菜、ナッツ類を中心に、清潔で滋養に富み、新鮮な食べ物を選ぶこと。動物の肉は避けるべき。大量の水分は、水や自然のワインや、大自然の恵みを生かした飲み物を摂る。睡眠はとり過ぎない。衣類は暖かさが保てる限り軽いものを。日光や新鮮な空気が皮膚に触れるようにするべき。 そして全てにおいて快活な気持ちでいるように努めることである。魂は喜びと幸せしか知らない。

〈参考文献〉Edward Bach「Heal Thyself」1931 (Bach Centre electronic edition) | 「バッチ博士の遺産」バッチホリスティック研究会 2007 | ジュリアン・バーナード編「エドワード・バッチ著作集」BABジャパン 2008

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