先日、都内で開催されたホリスティック医学協会のシンポジウムに参加しました。年に一度の協会イベントには、ホリスティック医療を実践する医師や専門家、患者さんとそのご家族など、ホリスティックな健康や医療に関心のある多くの人が集まります。ホリスティックな医療とは、人間まるごとの観点から心・からだ・魂の調和を整えるための医療です。生活習慣や人生の生き方を含めて、心身の健やかさを目指します。
今年のシンポジウムのテーマは、「Reborn(リボーン) 本来の自分によみがえる」。病は何のためにあるのか?そして、自分の人生をどう生きるか? 病気をどのように捉えるか、それは「生き方」を改めること、といういかにもホリスティック医療らしい内容です。
イベントの中心は4名の演者による講演です。ホリスティック医療を実践している帯津良一氏、船戸崇史氏、クリスティン・ペイジ氏の3人の医師、がんサバイバーの杉浦貴之氏です。どの方もエネルギッシュで、ライブ特有の熱い空気感を味わいました。私自身、自然療法を研究し実践する者であり、また病の経験のある者として非常に共感し、興味深い学びを得ました。4人の方々のお話にあった言葉を引用しながら、私自身が感じたことをここに記しておきたいと思います。
生き方についての重要な「問い」
人は、病むと自分の人生を見つめ直す機会を得ます。死が日常の視野の中に入ってくるような重い病であるほど、生き方を問われます。その症状が表れたとき、あなたの人生において何が起きていたでしょうか?なぜあなたは病気になったのでしょうか?
病気は、いのちの根源からのメッセージです。だから病気は決して悪しきものでもなく忌み嫌うものでもありません。自分自身の身体の叡智を聴いてください。小さな鈴がリンリンと鳴るように、ちゃんとメッセージを送ってくれています。それに気がつくと、自分のからだがより愛おしくなります。
その小さな鈴の音を無視し続けると、やがて「本当の自分を生きていますか?」「その生き方のままで本当にいいのですか?」と大きな鐘がこれ見よがしに打ち鳴らされます。病気は、偽りではない真のあなたが喜びを持って生きるよう道しるべになってくれています。確かに病気は苦しみを伴いますが、そうでもしないときっとあなたは本気にならないでしょう。
「私は愛されたい」、「私は愛を確かめたい」。その強い想いを叶えるために病気を使うことができます。病気になることで、“かわいそうで、か弱い私”になれば、周囲は優しくかまってくれるし、愛されていることを実感できるからです。でも、本当に欲しかったのは条件付きの愛じゃないはずです。
お土産を感謝していただく
良質な睡眠、良質な食事、からだを温める、運動をする、笑う。これがあなたのいのちの源にある生きる力を発揮させる基本です。
ところで日本人はガンの罹患率がとても高いです。3Gすなわち、頑張って、我慢して、頑固に生きなければならなかった理由に、どこか誤りがあったのかもしれません。「お人好し」になるのをやめて、心もからだもあなたが一番心地よい状態に気を配っていれば、いのちの源からの生きる力が自然に躍動し始めます。
もしあなたが今病気ならば、病気を治すことばかりに躍起になってはいないでしょうか?あなたは病気を治すために生きているのではありません。あなたはあなたの魂の底からやりたいと思うことに直観的に従って日々を生きるのです。ある美しい花が、全ての花びらを一枚一枚開いていくように。生きることにおいてこれ以上に重要なことはありません。
そのことに身を以て心底気づくことが出来たとき、病気はお土産を置いて潔く去っていきます。それは思いも寄らぬ、苦くて嬉しい贈り物です。
老いや死を恐れない、ときめく毎日
人間の生とは、儚く、かなしいもの。そして老いや死は、人間にとって根源的に恐れを抱くもの。病気であってもなくても、誰もが老い、必ず死へ向かうのです。生命体の自然の摂理に抗うことなどできません。ゆえに、アンチエンジングとは実に空しいこと。ならば、老いや死を素直に受け容れ、「心のトキメキ」のある毎日を過ごそうではありませんか。
心のトキメキとは、ただの快楽ではありません。創造という歓喜です。つまり自分の手によって自分の人生をつくるという自己実現です。たとえば、好きなものを少し食べること、楽しく働くこと、晩酌をほどよく楽しむこと、素敵な人にドキドキすること。そんな日々の些細なことです。
そして来世への備えを着々とする。その時がきたら、今生で出会った仲間に「また会おうね!」と清々しく手を振る。死を生の終わりとせず、無限に広がる虚しきものと一つになりたいものです。
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