親の役目とは、子どもの魂の成長のためにこの世との接触を可能にする特別な媒介となることである。この地上での数年間、生まれてきた人間を世話すること以上に素晴らしい機会はない。
子どもを持つことは神聖な務めである。親は、小さな新入りにできる限り霊的、精神的、物質的な導きを与えることだけを心がけるべきである。その小さな存在は、高次の自己の命ずる声に従い自分自身のやり方で知識と経験を得るために生まれてきた個別の魂であることをいつも忘れてはならない。
子どもにどんな見返りも求めてはならない。寛大な愛と保護と導きを与えること、ただ与えることだけがすべてである。自立、個性、自由は最初から教えられるべきである。
子どもの魂の命令を邪魔してはならない。保護と導きを与える短い期間が終わったら、一人で自由に進んで行けるように手綱を手放さなければならない。子どもは、私たち自身よりも霊的に経験を積んだ偉大な魂かもしれない。よって親の保護は子どもが必要とする範囲にとどめるべきである。 子ども達一人一人が、自由を与えられる時にはいつでも自分の人生に必要なことを直感的に選び取ることができるよう教え導くこと。
親の役目が神聖なものであっても、魂に命じられる仕事や人生を阻むような義務を課すものでも成長を制限するものでもないことを忘れてはならない。ほとんどの家庭で、親子関係について全く間違った動機と認識から両親と子どもは自ら牢獄を作っている。この牢獄は、自由を妨げ、人生を制限し、自然な成長を阻み、関わる人全員に不幸をもたらす。
魂は各自に特定の仕事を定めている。もしその仕事をしなければ、魂と人格の間に葛藤が起こりその葛藤が必然的に肉体的不調となって現れる。
どんな人の影響にも屈してはならない。いつも高次の自己の声に穏やかに導かれ、静かに落ち着いて自分の務めを果たすのだ。そのような人生を送ることのできるように、人はこの世に生まれていることを心に刻む必要がある。
多くの人にとって最大の戦いは自らの家庭の中にある。まず近親者からの支配と抑圧から自由にならなければならない。抑圧しようとする人に対して敵意を持たず、人生という競技を共にする人ととらえるべきである。そのような存在がもしなかったら、勇気と個性を発揮できる機会は不足すると考えるのだ。
支配的な人とは、助けや導きを必要としている人である。真理に対する理解や他者を愛する喜びを得られないことは、本当の幸福を逃してしまう。ゆえに私たちはそのような人をできる限り助けなければならない。最も希望のないときでも、内なる神を信頼し、勇気を奮って努力を続ける人には必ず勝利がもたらされることをいつも心に留めることだ。a
〈参考文献〉Edward Bach「Heal Thyself」1931 (Bach Centre electronic edition) | 「バッチ博士の遺産」バッチホリスティック研究会 2007 | ジュリアン・バーナード編「エドワード・バッチ著作集」BABジャパン 2008