何者でもない私を生きる ホリスティック医学シンポジウムに参加しました

先日、名古屋で開催された「ホリスティック医学シンポジウム2026」に参加しました。
テーマは、「森羅共創 いのちの循環と人の智慧が拓く 医のあした」。

医療、食、農業、コミュティ、という広い視野で、7名の方のご講演とクロストークを聴講させていただきました。
感想を記しておきたいと思います。

病気ではなく、「いのち」をあつかう

事前に送られた会報誌にて、登壇される各演者の方々の記事を読んでいました。
実行委員長の西河先生は、重度の喘息を自然療法で克服した経験をされたとのこと。
私も同じ経験を持つので、参加前から何かシンパシーを感じる一日になるかもしれないと思いながら会場に向かいました。

共通して語られたのは「いのちの循環」についてでした。
医師、薬剤師、看護師などの医療従事者の方だけでなく、研究者、環境活動家、レストランオーナー、畜産に携わる方などによって、「人が真に健やかに幸せに生きるには?」についてのお話が繰り広げられました。

いのちの巡りのなかの自分の存在を認識し、生きることへの感謝と喜びを取り戻すこと。
自然や人とのつながりのなかで安心し、魂の望む生き方を選び直すこと。

各方面の皆さんのお話を伺いなから、私自身が体験した病の回復の本質を改めて確かめることができました。

自分の在り方が、目の前の人の自然治癒に影響する

なかでも最も印象に残ったのは、和歌山で地域医療コミュニティを実践されている今田真穂さんのお話。

何者かになろうすることは、苦しみを生み出します。
何者でもない自分に価値があると感じ、同時に目の前の人の尊さにも気づくこと。
そんな自律した人と人とがつながりあうことが、幸せに生きるための医療です。

私たちはつい、何かの専門家に、何かの権威になろうとしてしまうものです。
けれども、目の前の人が自然に癒えていくためには、対面する自分こそが本来の在り方をしているかどうかが最も大切なのだということです。

おかげさまで、今では医者いらずな私ですが、過去に一般的な医療の現場で疑問に思うことが多々ありました。
心の状態、食べもの、住む場所、人間関係、精神的生活は、その身体的症状に関係がないとはっきり言われたときは、何度も首をかしげました。

一方で、ホリスティックな医療を志す先生は正面からどっしりと私を迎え入れて、「あなたは、どんな人ですか?」と私という人間について耳を傾けてくださいました。
私には生きる価値があり、大切にされている、という実感が自然治癒力を発動させたのだと今になって思い起こされます。

このシンポジウムで、「自然環境」「暮らし」「食」「生き方」という従来の医療の枠を超えた視野で語られている風景を目撃したことに、とても大きな変化が起きていると私は改めて感じました。

幸せな生き方に目をむける医療

生きることに関するすべてがホリスティック医療です。
そして、病があってもなくても、治っても治らなくても、「より幸せに生きるには?」という視座を持つことが、これからの医療に欠かせないものになっていくのではないでしょうか。
病気を悪者扱いして躍起になって治そうとする偏った姿勢こそが、むしろ病を継続させてしまうことだってあるのです。

なぜ生きるのか、どう生きるのか、という幸せに関する問いを持ち続けることは、AI医療にはできない、人と人とがつながる医療にしかできないことです。

こんなホリスティックな医療が主流になってほしいと願いながら、何者でもない自分こそが、この尊いいのちを燃やしてできることを一歩ずつやっていこうと思いました。
未来の子どもたちのためにも。

会場では新たな出会いにも恵まれ、大変有意義な一日となりました。
ありがとうございました。


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